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滋賀支部ボートレーサーのお気に入りスポットをご紹介するオーミー・フォー・ユー。
今回は76期生で滋賀支部の中堅実力派、佐竹恒彦選手ゆかりの地である近江八幡市の名所をご紹介いたします。

佐竹選手、実はご本家筋がこちらの近江八幡市のご出身ということで、
お父上であり元選手である佐竹孝雄さんはこの地でお生まれになり、大津に移り住んだとか。
佐竹選手も大津の生まれになるのですが、
ご親族のお墓が近江八幡観光の要所である日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)のすぐ近くで、
付近は有名なスイーツスポットであるクラブハリエ日牟禮館や和菓子の日牟禮ヴィレッジたねやがある、
にぎやかな近江八幡市の中心スポットです。
そしてこの周辺は、以前にご紹介した安土城跡や琵琶湖の沖合1.5キロメートルほどのところに浮かび、
琵琶湖で唯一人が暮らす島である沖島、さらに琵琶湖とその内湖となる西の湖(にしのこ)を結ぶ水郷地帯、
そして悲劇の武将、豊臣秀次の居城である八幡山城跡のある八幡山など、
歴史と四季折々の美しさが広がる風光明媚(めいび)なエリアが広がるのです。

今回はこの近江八幡市の古き歴史の風情を漂わせる八幡堀界隈を中心にご紹介していきます。

安土桃山時代、信長公没後に豊臣秀吉の甥(おい)であり、
養子縁組から後の関白となる豊臣秀次が1585年(天正13年)八幡山城を築城し、
当初は城堀であったこの八幡堀を琵琶湖の湖水を引き込み全長4,750メートルともいわれる運河として造成し、
琵琶湖往来の舟をこの八幡の町に寄港させることによって、この街を商業都市として栄えさせたそうです。
石垣で綺麗に舗装され、両岸には並木道や遊歩道、白壁の民家が並ぶお堀は歴史の風情を感じさせます。
静かでのどかな雰囲気が漂うこの界隈は、春になると桜が咲き乱れ、多くの人が訪れます。

ご覧のように整備の行き届いた城下町風景ですが、
実は戦後昭和の高度成長期はその発展と共に、交通路や生活用水としての運河は忘れ去られ、
無用の歴史遺物として公害の原因ともなり、埋め立てを含む全面改修も検討されたようですが、
市民の手でこれを覆し、八幡堀の全面改修へと繋がったそうです。

今では映画や時代劇のロケ地としても使用される街並み。
改修された白雲橋、明治橋から見る風景は心を和ませますね。

そして、この白雲橋を渡ると、平安時代からの歴史を誇り、かの豊臣秀次公が保護し、
関ヶ原の合戦後は徳川家康公も参拝・奉納を行ったとされる、
厄除開運と商売繁盛の信仰で知られる日牟禮八幡宮がございます。

さらに進むと八幡山城跡である山の頂上へ向かう八幡山ロープウェー乗り場がありますが、
こちらに関しては次回にゆっくりとご紹介することにしましょう。

今回は白雲橋に戻り、近江八幡の古くからの街並みを歩いてみました。
現在は観光案内所として使用されている白雲館は、
明治10年に近江商人たちの寄付により八幡東小学校として建造された洋風建築二階建ての建物です。
役場や金融機関の店舗として使用され続け、平成6年に改築。現在の建物となり今に至ります。

明治の昔の近江商人の活躍がしのばれます。
そうそう、近江の企業で全国的におなじみなものといえばこちらですかね。
メンソレータムの近江兄弟社さん。白雲館からすぐのところにあります。
そして、付近を散策すると近江商人ゆかりの施設が散在しています。

街道沿いには戦国時代以降の歴史の表舞台であったことを示す、織田信長公創建とされる西光寺。
都に通じる京街道には今でも商家や民家。さらにその古民家を改装したカフェやレストランもあります。

多彩な魅力を誇る近江八幡市。
佐竹選手のお勧めの理由がよ~くわかりましたので、次回も引き続きご紹介いたします!!!

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